~入国審査でGoogle翻訳⁉︎~
今回は,留学第1日目というのか,0日目というのか,
実際に飛行機を乗ってから,無事にホームステイ先に到着するまでの希望に満ちた初日に起きた悲劇について書いていこうと思う.
希望に満ちた海外生活に向けて,人気のない関西国際空港を出発した.
コロナ禍ということもあり,本当に空港内に人がいなかったのを覚えている.
搭乗口あたりの待機場所みたいなところに数十人の外国人が待っていたりして,おお,いよいよだなあと,気持ちが高ぶっていた.
この時点では飛行機の案内も日本語でされたし,数時間後に自分があんな笑いものにされるような経験をするとなんて思ってもいなかった
<入国審査>
コロナ禍ということもあり,明確な目的を示さないと,追い返されることがあるとは聞いていたので,念のため書類などはきちんと用意していたんだけど,イメトレとかは全く持ってしていなかった.
てか,みんなはするの?
数分列に並び,自分の番が来た.もともと,どんなことにおいても,ま,いけるっしょ!?って感じの性格でいろんなことを楽しんできたので,今回もその感じだった.
審査官が一言
Where are you here?
自分にはそう聞こえた.ん?こいつ何言ってんだ?
おまえ,ここで働いているんだから,自分が一番よく知っているだろって思いながら,ハテナマークで頭の中をいっぱいにして黙り込んでしまった.
今考えればおかしな英文だ.(本当はWhere are you here? って言ってたのだと思う)
その後にも同じことを繰り返され,違う言い方もされ,挙句,SchoolかStudyかどっちか忘れたけど,その単語を出され,YesYesって感じになったきがする.
書類を出せと言われ,審査官が書類に目を通し,何かすごく面倒くさそうな顔をして,スマホをいじり始めた.
何だこいつ,とおもいながら,まあ,海外ではよくある事なのかな,と文句も言えずに待っていると,そのスマホが自分の目の前に差し出された.
「アイルランドに来るのは,初めてですか?」
と,Google翻訳に書かれていた
Yesとは言ったものの,悔しい通り越して,笑っちゃいました.
今となってはかなりのネタ話になるので楽しいですけど,本当に屈辱でした.
まあ何とか,関門とも思ってなかった関門を潜り抜けました.(笑)
<Baggage Claim>
そんな笑い話も去ることながら,一瞬にして第二の関門が,またもや想定外のところから襲い掛かってきた.
まあ,想像していたより入国審査が長引いてしまい,同じ便に乗っていた人も周りから少なくなってしまっていた.
自分の頭の中は
「あ,次はスーツケース取りに行かないとな」
「ま,前の人についていったらいけるっしょ」
初めて来た空港だし,右も左も分からないところだったので,それがベストな選択だと思った
が,気が付いた時には到着ゲートの出口を出てしまっていた.
つまり,そういうこと...
写真のような場所を見ることもなく,荷物を受け取らずに出口を出てしまったのだ
後で知ったんだけど,ヨーロッパって日本でいう国内旅行みたいな感じで行き来するから,必ずしもみんな大きな荷物を預けているわけじゃないらしいね.(はめられた)
これを不幸中の幸いというのか,通う予定の語学学校に空港からホームステイ先のタクシーを手配してもらっていた.(後にこの人がブツブツ言いながら色々頑張ってくれる)
自分の名前が書かれたホワイトボードを持っているその見知らぬ男性に近づいて...
開口一番に,「荷物どうしたんだ」
無いということだけ伝えた(この時マジで話せなくて,単語を辛うじて聞き取って,YesかNoかということくらいしか言えなかった.)
持ってきてないのか,それとも取り忘れたのか,いろいろ聞いてたと思うが,何言ってるかマジでわかんなかった.
とりあえず,空港の中だということをジェスチャーでアピール
この時は本当に出川哲郎ってすげえなって思った.
ここでは,まあ,ただ荷物を取り忘れただけだ.取りに戻ってすぐ出てこられるだろうと思っていた.
が,そうじゃなかった.
そらそうか,空港なんて搭乗口と到着口としかなくて一方通行みたいなもんだし,
とにかく,大変だった.
コロナで飛行機の便の数が多くなく,乗り継ぎもあったので,その日の到着は午後11時くらい
こんな深夜に余計なことして申し訳ねえ.(となんてもちろん伝えられず)Sorryねぇ.Thank youねぇとだけひたすら連呼.
国際便って本当に面倒.
色々なやり取りは,そのタクシーの運ちゃんがしてくれたのだけど,係の人がなかなか来なくて30分以上たってようやくって感じ.
入国時と同じように手荷物だの身の回り品だの色々チェックを受けないといけないし
何を話しているか全くわかんない人に案内されながらようやくお目当ての財宝にありつき,
またしても思いもよらぬところから降りかかってきた第二の関門を潜り抜け,日付が回ってしばらくタクシーに揺られホームステイ先にたどり着いた.
未知の海外生活の大きな大きな一歩を踏み出したなと思いました.
まあ,こんな感じで初日からメンタル的にだいぶやられてしまいましたが,時差ボケも思ったほどなくぐっすり眠れました.
海外生活において困難とかハプニングは英語力を大きく向上させるいい機会だってよく聞くんですけど,この時は成長させるだけの英語力だったり,自己解決できるほどの会話力が無かったけど,いろんな意味で勇気とか度胸とかが備わったように感じました.
P.S.
あとで,ホストファミリーから聞いたんだけど,あの日本人やばいぞだのなんだの,たくさん悪口を電話で言われていたらしいです.(泣)
5か月のコロナ禍留学でTOEICスコアはどうなった?
今回は,タイトル通り帰国して一番聞かれることについて話していくことにする.
留学経験者ならどれもが共感するところじゃないかな?
英語話せるようになった?TOEIC伸びた?
隠し事なしにこの場を借りて書いちゃおうかな.
1.大学入学から今までのスコアの推移
2.留学前
3.留学中~帰国
4.最後に
<1.大学入学から今までのスコアの推移>
結論から話すと2021年3月に帰国し,同年4月末に受験したTOEICで790点
試験会場が広く音響の音割れがひどくて,聞き取りづらかった.という言い訳はおいておいて…
あー,800点行かなかったかぁ…という感じ
参考のために大学在学中に受けた学内受験のTOEFL-ITP,学外のTOEICの点数を載せておきます
<2.留学前>
前回書いたのですが,英語の履修条件のTOEIC の点数を超えられなかったため留年.
2019年,当時大学2年生の時に受けた初回のテストで345点.
もちろんこの点数のまま留学に行ったのではなかった.
3年生の時にTOEICの問題集を題材に毎日毎日英語を聞くこと,読むことをまずは習慣にすることから始まった.
大学受験と同時に1年次の英語の授業以外はほぼ英語と無縁の生活を送っていたので,もちろん文法だの,単語など,もともとたくさん覚えられていた部類ではなかったが,ほとんど忘れていた.
問題形式にも慣れ,なんとなくしか聞こえない単語を組み合わせて答えを導き出すと,正答率が上がることに気が付いたが,
リスニングの内容を理解して回答できる問題などほとんどなかった.
それでも,3か月以上の習慣化ということもあってか,リスニングのスコアは非常に伸び,2019年12月の試験で605点をとることができた.
やっと,友達に聞かれても遜色ない普通の点数をとることができた.英語の履修条件をとることができた.と安堵したのをよく覚えている.
TOEICの全体平均が600点前後,大学生平均はそれよりも20~30点ほど低いらしい.
つまり,ようやく人並みのスコアに達したまでだった.
そこから,出国までのほぼ1年間,やらないと,と思いながら,勉強もたいしてしていませんでした.
その状態で出国しちゃいました.
345点から605点にしたときに英語に触れるために用いた教材
https://item.rakuten.co.jp/book/14939719/
↑公式TOEIC Listening&Readingトレーニング Listening編
https://item.rakuten.co.jp/book/14939720/
↑公式TOEIC Listening&Readingトレーニング Reading編
https://item.rakuten.co.jp/book/15298894/
↑TOEIC L&R TEST 出る単特急 銀のフレーズ
続きを読むコロナ禍にアイルランド留学をした大学生
今回ブログを書き始めようと思ったいきさつや,自分がどのような人なのか説明できればいいなと思い,この記事を書いています.
<自己紹介>
こんにちは.僕は神奈川県にある国立大学に通う理系の大学5年生?です.
一般的な理系の大学生は,4年生に進学するときに研究室に配属されます.
その配属条件があるのですが,僕はそこで単位が足りずに留年することになりました.
今でこそ,はっきり言えますが,留年が決まった当初は本当に苦しく,どのように友達や両親,その当時付き合っていた彼女に伝えようか本当に頭を悩ませました.
その足りなかった単位というのが,まさかの英語2単位のみでした.
他の専門科目などをすべて取り,GPAなども学年平均はあったので,本当に何をやっているんだって感じですよね.
なぜ英語の単位が取得できなかったというと,2年以降で履修する英語の2単位の履修条件にTOEICで450点以上取る必要があります.
要はその点数が取れずに留年してしまったというわけです.(1回目の受験で345点でした...泣)
学科の教務担当の教師も戸惑うほど極めてまれなケースでした.
つまり,それくらいの点数はみんなとるというわけです.
それくらい英語が苦手で,英語を避けてきました.
正直ゆって,留学だとか海外生活だとか全く興味もなく,海外旅行ですら考えたことはなかったです.
むしろ,高校時代の友達などが,海外留学に行っていたり,留学したーい!とか言っているのが本当に嫌いでした.
そんな自分が,ある英語の先生との出会い,留年したこともあり奇跡的にも留学を決意しました.
以上もことを踏まえて以降のブログを見ていただければ嬉しいです.
<いきさつ>
2020年10月から2021年3月までのおよそ5か月間,アイルランドのダブリンという都心に語学留学に行っていました.
コロナが蔓延している最中に,奇跡的に時期的に入国でき,2週間の隔離後無事に自由の身になり自分のダブリンでの未知の生活が始まりました.
ただ,留学し,言語を上達させるだけではなく,自分の考えや経験を言葉にし文章として書くことによって,自分の意見をまとめることができたらなと思って,このブログを書き始めることを決めました.
コロナ禍ということもあり,この時期ならではの経験なども話せればいいなと思います.
そして,少しでも海外や英語などに対して興味や関心を持っていただけると嬉しく思います.
<最後に>
このブログで自分の意見をまとめるとともに,留学を考えている人にも役立つ情報や経験なども発信していけたらいいなと思います.
元々文章を書くのは得意なほうではないんですが,気楽に読んでいただけると幸いです.
また,知りたいこととか教えていただけると助かります.